ルアンパバーンまでの道のり
22時間。
これが、タイのチェンマイからラオスのルアンパバーンまでにかかる総時間である。
長い。
そして、極めて過酷な移動であった。
その過程を綴る。
朝、9時頃宿にピックアップが来て、ミニバンで国境を目指す。途中、チェンライという他の都市に寄り、白い寺院を見学。
エンターテイメント性のある変な寺院だった。
夕方頃、国境到着。ここでバスを乗り換えラオス側のイミグレーションへ。そして、5時以降は時間外受付だ!と主張され10000キップを支払う。140円くらい。
という名の小遣い稼ぎなのかなんなのかわからず支払う。5時以降も普通に働いてほしいところだ。国境からミニバスでバスターミナルへ。
大きい寝台バスに乗り換え、ルアンパバーンに出発。ここからが悪夢だった。
まず、席が見つからない。探し回っていると、マレーシア人とフランス人のカップルが私のベッドを占領していた。退いてもらうように言うと、なぜか荷物を置かせてとのこと。
そして、目の前で車掌と口論している。他にも友達同士で寝たい人がいるらしく、予め決められた席がバラバラになっているとのこと。とりあえず、あなた他のとこいってくれない?とマレーシア人の気の強い女の子。えっ?ここ私の席なんだが。と思い渋っていると。なぜか、起こっている様子。あなたがここにいると女の子と寝ることになるのよ!いいの?
なぜかそのカップルにベッドを譲る。そして、空いていたのはタイ人のおじさんの横だった。そして、ベッドが超狭い。シングルベッドを少し小さくした感じ。知らないおじさんと二人寝返りを打てない中12時間以上の旅が始まった。
途中、バス車内に大きな黒々としたゴキブリがベッドの上を這っていたりする。夜中の3時ごろバスが停まったかと思いきや、夜食の時間だと。。。
眠いながら、ごはんを食べる。そこで、カナダ人のカイルが話しかけてくれた。そのあと彼としばらくともに旅することになるとは想像だにしなかった。
朝、5時ごろルアンパバーン到着。市内までは遠い。タクシーというオプションしかないので渋々ぼったくりタクシーに乗る。
8時ごろ、宿に荷物を置き、古都ルアンパバーンの街を歩いた。
チェンマイ 峠を攻める
タイの北に位置するランタン祭りで有名なチェンマイにやって来た。スコータイからさらにバスで6時間程度北上したところ。
チェンマイは、城壁に囲われた旧市街と壁外の新市街に分かれている。
夕方に着き、日本人の宿でオススメされていた宿に。
日本語でたくさんのインフォメーションがあり、ホスピタリティーのある宿だった。夜は日本人の人らと飲み、昼はバイクで走ったり、美味しそうなご飯を求め歩き回ったりしていた。
チェンマイの城壁の回りでは、交通警察が常に検問をしており外国人の免許不携帯をとがめてはかなりの金額を要求していた。そもそも、バイクレンタル所ではまったくその事について触れず、国際免許証の確認など行わない。私は事前にその情報を手に入れていたため、国際免許証を携帯していた。警察も、悔しそうに「さっさといけ」と通してくれた。 チェンマイにいく方は国際免許のチェックがあることに気をつけて欲しい。
さて、バイクのレンタルは安い。一日借りても200バーツ程度だから、600円くらいである。ガソリンは自分で入れるのだが、それも200円くらい。 日本のレンタルサイクルより安い。
バイクで山道を走っていくと、川が見えたり木陰が気持ちよいところを通ったりととても楽しめる。
しばらく山道を登っていくと、山の上の寺ワットプラタートドイステープ寺院がある。
黄金の仏塔。ここでは多くのタイ人が仏塔の周りをぐるぐる回りながら念仏を唱えるお祈りをしていた、
チェンマイを上から一望できる。
少数民族の村
少数民族の村に来た。彼らの収入源は、お土産なので村の入り口にはたくさんの民族工芸品やレストランが。
ホンジュラスかと疑ってしまう景色。
ここでは少数民族が暮らしている。
郊外の観光が終わり、市内でお寺めぐり。タイでは本当に多くのお寺を見てきた気がする。なんせ1つの街にこれでもかというほどお寺があるのである。おそらく街中では、学校の数以上にありそう。
あと、チェンマイはおしゃれカフェがたくさんあり、日本人に人気らしいが宿のカフェしか飲んでいない。なんだか、一人だと入りづらい雰囲気があるのである。
代わりにチェンマイならではのごはんを食べた。
カオソーイ。海外のごはんの中でも上位レベルで好きなごはん。ココナッツミルク入りのカレーヌードルで麺は太目、上にカリカリとした揚げ物がのっている。それにパクチーがいい味を出している。サイドに付く、高菜と食べるとさらにおいしい。
夜は街の蚤の市へ。人がとにかく多い。売られているものも雑貨なんかが多く、お土産にぴったりのものが売っている。しかし、何も買わず、そのまま市場を後に歩いてホステルまで帰った。
スコータイ タイの微笑みを感じる街
アユタヤからバスで6時間北上し、着いたのはタイ最初の王朝、スコータイ朝で有名な街スコータイについた。
夕方6時に着き、乗り合いバスで仲良くなったオランダ人の男性とごはんを食べに。
その後、フランス人カップルと食堂で会い、4人で一緒にビールを
飲んだ。
オランダ人の彼は、難民支援の仕事に関わっていて休暇でタイに来ているとのこと。
フランス人カップルは、ちょうど大学を卒業し、アジアを回っているとのことだった。
二人とも理学療法士であるというのが興味深い。
フランスの彼らは、英語が苦手だと言っていたが、頑張って話していた。私もその姿に安心した。なぜなら、今までは欧米人たちと話すときはものすごいスピードで話が展開する様子についていけないからだ。
スペイン語であっても、ネイティブたち同士で普通に話しているのを理解するのは難しい。
話していると、日本人もフランス人も同じような悩みを抱えていた。フランスもネイティブには習わず、フランス語で授業が展開されるようだ。彼らもこれまではテストのための語学だと言っていた。本や映画などの娯楽もすべてフランス語という環境で英語を習得する機会があまりないと。文化的、歴史的理由はあるにしても、英語を習得するのは簡単ではないようだ。
さて、二日目はスコータイの遺跡群を観光した。
スコータイ朝は、アユタヤ朝の後に繁栄したもので戦時下になかった分、遺跡の損傷はさほどない。きれいに舗装された道路や街並み。
この自転車で遺跡内を一日観光。 サドルを何回もきつく締めないと下がってしまった。
巨大な仏像。一般的に仏像は膝を組んで座っている体制が多いが、立っているものを見れた。表情も穏やか。
この橋の中心部にいる犬は遺跡内を案内してくれた。というか、勝手に歩いているのについていっただけ。
珍しい、歩く仏陀。
お坊さんたちもスマホで撮影中。タイでは、男子は最低一度は僧侶にならなければならないため、普通の生活をしていた人がお坊さんになることになる。
夜のスコータイは、連日連夜夏祭り
スコータイ遺跡観光のあと、夜の街を歩いてみた。
すると、何やら騒がしい市角が見えてきた。
そこには、まるで日本の夏祭りのような懐かしい風景。金魚すくいに射的、ビンゴ、屋台など人々が楽しむ様子がとても居心地がよい。店の人たちと片言のタイ語と英語で会話する。 店でごはんを食べれば、おばちゃんが話しかけてくれ、日本のことを話すとごはんをごちそうしてくれる。人々は優しく、まさに微笑みの国、タイ。
バンコクでは、あまり人々の微笑みを感じなかったが、ここスコータイという片田舎でタイのやさしさに触れることができた。
この一日でこの場所が気に入り、もう一晩泊まることにした。
次の朝は、道で売られている小さいバナナにココナッツの実を挟んだお菓子を食べてみた。これで一つ15円くらい。甘いがおいしい。
さらに街を歩くと学校を発見。高校のようで算数の教室と職員室をのぞいてみた。職員室は雑然としているが、まるで日本のものに見えた。
アユタヤ ~破壊しつくされた街~
バンコクから鉄道で2時間程度、遺跡の残るアユタヤに来た。これから、少しずつ北上し、ラオス入りする予定である。
今日は到着後、船で川を渡りアユタヤの街へ。なかなか、安宿街のような場所が見つからず、歩くこと1時間。ようやく適当な安宿を見つけ、チェックイン。
近くのレンタルサイクル屋で1日チャリを借りて、観光。
マハータート寺院
この木に埋まった仏陀の頭がとても有名である。地面に落ちた仏陀の頭が長い時間をかけ、木に取り込まれてしまったのである。なんでもアユタヤは14世紀~18世紀にタイの王都として栄えていたそうで、寺院が遺跡として今も残されている。
最終的には、ビルマ軍(ミャンマー)の侵攻により街は破壊されアユタヤ王朝の幕も閉じた。
その結果、遺跡には首のない仏陀像が多数残されている。首をビルマ軍が切り取ったため。
破壊の跡が凄まじい。。。
かつての王の墓。
巨大な寝仏。
ここは、なんでもゲーム「ストリートファイター」の舞台として有名だそう。
なんと日本町と呼ばれる場所をアユタヤで発見。中は、ミュージアムになっていた。
アユタヤ朝時代に日本人が1000人ほど住んでいたのだ。当時、山田長政という日本人義勇兵の頭領だった日本人が国王の信頼を得て、活躍したそう。
一日、丸々アユタヤを回りぐったり。しかし、興味深い遺跡群だった。
サメット島
カンボジア・シェムリアップの小道で島国感を感じてから、ずっと島に行きたかった。ホンジュラスでは、長期休みがあるたび訪れた島。
なぜか急に欲してしまったらしく急遽、バンコクからバスと船で3時間の島に向かった。
このボートで島へ!
ここがメインストリート!
そこはかとなく漂う島感。最高!
手ごろな宿にチェックインし、レンタルバイクを借りてドイツの人たちとビーチへ。
これがサメットのビーチ! 白い砂浜、透き通ったきれいな海。これが見たかった!
ビーチでひたすら泳ぎ、またバイクで移動。
これがサメット島の地図。縦断するのにバイクで20分くらい。小さな島。
夕方には、夕日がきれい。
夜は、ごはんを食べに出かけた。ビーチ沿いは、しゃれたバーやレストランが立ち並ぶ。
毎日やっているらしいファイヤーショー。
サメット島、最高。
実は、ホンジュラス行く前まで島はあまり好きじゃなかったけれどもう完全に島にはまっている。
島の風とか匂いとかすべてがいい。さらにビールも。
二日目はドイツの女の子とバイクで島のビーチを回る。
二日目も日光浴したり、泳いだり、スペイン人の団体と話したり楽しい時間だった。
島旅終わり。明日からタイの北側に向かいます。
タイの寺院
バンコクの寺院を訪れた。タイは、仏教国だが日本と違って上座部仏教を信仰しているみたいだ。日本は大乗仏教。
仏教は生活の一部で、街中をオレンジ色の服を身にまとったお坊さんが多く歩いているし、いつも寺院は人であふれている。さらに、男子は一度は出家するらしい。最近は、1週間出家とかもあるらしいが。
そんな仏教国タイでは、アニメ「一休さん」が流行っているらしい。私もまったく世代ではないが、家のケーブルテレビで小さいころよく見ていた。
一休さんは幼いけれど賢いお坊さんの話で、それはタイの子どもを教育するのにいいんだそう。
巨大な寝仏。ワットポー
豪華な寺院。タイではしばしば金の寺院を見た。
僧侶が子どもたちに勉強を教えている。
タイ語でよくわからなかった。算数でもやってくれたらなあ~。
ちなみにタイではお寺で勉強を教えるのはどこでもやっているようだ。ほかのお寺でもよく見た。
ワットアルン
ワットトラミット
黄金の仏像
時価120億円!!!
もともと、ミャンマー軍から盗られないように漆喰のコーティングがされていたそう。
この仏像を運ぶときは誰も金でできていると気づかなかった。しかし、重いので作業員たちは雨の中にこの仏像を放置してしまったらしい。その後、雨で漆喰がはがれ金の肌が現れたという話だ。
なんともタイらしいお話し。
今回は、前プミポン王の葬儀の関係でバンコク1のお寺、ワットプラケオには入れなかった。
次回は、絶対に行きタイ!!!
バンコク!
歩いて国境越え!!!
手前がカンボジアの国旗。奥がタイの国旗である。
この国境はバスを降り、バックパックを背負って15分ほど歩かされた。
バンコクは、バックパッカーの聖地カオサンロードにやってきた。
ここへは、予防接種を打つためにやってきたが、結局1週間近くいることになった。
なにより、とてつもなく大きい街なのだ。そして、東南アジアの中でも群を抜いて発展している。
カオサンロード
カオサンロードは、安宿、バー、屋台、土産などが勢ぞろいしている場所である。まさにバックパッカーに必要なものがそろっている。
しかし、以前はさらに怪しい雰囲気だったに違いない。
客引きはヨワヨワしい声で、「ライセンス~」「レディ~」といった様子である。
ライセンスというのは、おそらく偽スチューデントカードなどの類である。
相当摘発されて大ぴらには客引きが行われていないのかもしれない。
毎晩、欧米人がどんちゃん騒ぎをしていた。
しかし、ある時から前国王の喪を服して、酒の販売が時間制になった。それに合わせて、カオサンにも人が減ったように思う。
予防接種 スネークファーム
バンコクでは、日本と比べ安く予防接種が受けれるとバックパッカーの間で話題である。例えば、黄熱病は日本だと1万以上するが、タイでは3000円程度である。
私は協力隊の訓練中に、A・B型肝炎、狂犬病、破傷風は打ってあった。
今回は、黄熱病、腸チフス、日本脳炎の3つを念のため打つことにした。
カオサンからスネークファームまで無料のバスで移動した。簡単な受付を済ませ、問診→薬剤受け取り→支払い→接種という流れであった。
自分で打つ予防接種を買いに行くというのが面白い。
そして、接種は5分ほどで終了した。
スネークファーム外観
これが、打った予防接種キット。計7000円ほど。
よく買って飲んだマンゴーヨーグルトジュース
100円くらい。