おそたび

osoの書く世界一周旅ブログ 元青年海外協力隊(ホンジュラス) いろいろな国の様子を生活や教育という視点で書き留めようと思います。

暗黒の時代

カンボジアには、つい40年ほど前に国内で大量虐殺が行われたことをご存じだろうか?

 

ポルポト政権時代1975年~1979年にかけて国内のおよそ3分の1(300万人)の人々が殺されたのだ。もう一度、考えてほしい。300万人である。そのほとんどは、罪のない疑いをかけられ拷問され、殺された。一人ひとり、弾がもったいないからと銃も使われず、斧や鉈などの鈍器やナイフなどで殺されているのである。また、虐殺の対象となったのは、教師や医者などの学のある人々に始まり、外国語が話せる者、大学に行ったもの、海外に行ったことのある者、はたまた眼鏡をかけているという理由だけで殺された。なぜか?

ポルポトは、反逆を恐れた。スパイなどの存在を恐れ、知識のある人間を片っ端から殺害したのである。また、その家族も女、子ども関係なく徹底的に探し殺した。それは、将来自分に恨みが来るのが怖かったのだ。なので、一族そのものを抹消した。

今回、カンボジア訪問の主な目的は、その当時の状況の跡を実際に目で見ることであった。私は、高校生のころ映画ホテルルワンダを見て、悲しくて涙が止まらなかったことを覚えている。ルワンダでも国内で争いが起こり、人を虫けらのように扱い、虐殺が行われた。

それからというもの、海外の虐殺などには関心を向けていた。人間は、そういう狂気的な一面もあるのだと理解した。

ここカンボジアでも、同じような虐殺が国民同士で行われたのである。ちなみに少し古いが「キリングフィールド」という映画も公開されている。私は出発前に鑑賞した。

 

今回は、S-21と呼ばれる拷問収容所(トゥールスレン博物館)とキリングフィールドと呼ばれる虐殺の舞台に訪れた。どちらの場所も非常におもおもしい空気が流れている。おそらく行けば、すぐに感じるであろう。

 

S-21

 

ここでは、ベッドに足を括りつけられ繰り返し暴行を受けていた。おそらくタイルの黒くなった部分は血の跡である。

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この施設はもともと高校として使われていた。なので見た目は校舎だがとても楽しい雰囲気には思えない。空気が重く、じとっとしたイメージである。

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学校にあった遊具も拷問用具として使われた。

ここにある説明によると、腕を縛り吊るしあげる。その痛みにたまらず失神する。

下にある糞尿を入れた壺の中に顔を突っ込み、また意識を取り戻させる。

を繰り返すのだ。もともとはブランコのようなものだったらしい。

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当時の教え方。

基本は、母音と子音を教えるのみでクメールルージュ(ポルポト時代の組織)について忠誠心を持つように教育されていたらしい。

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S-21と周りの景色

カンボジアでは、近年都市開発が進んでいてビルが増えてきている。

40年前には、こんなにたくさんのビルはなかったであろう。この現実とは離れて街は少しずつ成長している。しかし、この記憶はカンボジア人の中にずっと残り続ける気がする。いや、世界が忘れてはならないのだ。人間は、戦争であろうが虐殺であろうが、どんな狂気に満ちたこともできてしまうのだ。そして、それは教育が大いに関係している。教育は、効果が出るのに時間がかかり、一見効率的でないと思えるが、実際はとてつもないパワーを持っている。この暗黒時代も子どもたちは、何も知らないまま教育され大人を殺す殺人鬼となった。教育は、誤った使い方をすればそれだけ負の力も秘めているということである。

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