おそたび

osoの書く世界一周旅ブログ 元青年海外協力隊(ホンジュラス) いろいろな国の様子を生活や教育という視点で書き留めようと思います。

アンコールワット

アンコールワット遺跡群

今回は写真がいっぱいです。

 

早朝5時、宿を出てトゥクトゥクで遺跡の朝焼けを見に向かった。チケットは、今年値上がりしたらしく、37$。ちなみに去年までは20$。

た、たかい。

これが、カンボジアでよく見るトゥクトゥク

f:id:takuoso:20171026145551j:plain

 

まだ、暗い道を歩いていくと。

f:id:takuoso:20171021121850j:plain

見た景色はこんな感じ。水面に映る様子がとても美しい。

f:id:takuoso:20171003214240j:plain

 

f:id:takuoso:20171021122042j:plain

アンコール遺跡は、12世紀前半に建てられた寺院。

一時はジャングルの中に忘れ去られたが、16世紀ごろ再発見された。

ジャングルの中にたたずむ様子は圧巻! これを発見した人はどんな気持ちだったのだろうか。

 

近づくとf:id:takuoso:20171026145747j:plain

中に入ると、、、映画かゲームの世界にいるよう。

f:id:takuoso:20171026145936j:plain

f:id:takuoso:20171026150255j:plain

壁画 

これが左から右にストーリーになっていて面白い。

f:id:takuoso:20171026150415j:plain

f:id:takuoso:20171026150442j:plain

王だけが入れた最も神聖な場所

f:id:takuoso:20171026150612j:plain

 

 

f:id:takuoso:20171026150639j:plain

f:id:takuoso:20171026150853j:plain

 

それから、また違う遺跡へ。

アンコールワット遺跡群は、とてつもなく広大で遺跡群だけあって様々な寺院が点在している。すべて回るのに最低3日はかかるそう。

f:id:takuoso:20171026151706j:plain

f:id:takuoso:20171026152208j:plain

炎天下をひたすら歩く。このとき、すでに頭が痛い。

f:id:takuoso:20171026152222j:plain

 

アンコールトム!

バイヨンたちが微笑んでいる。よく見ると顔がたくさん彫られている。

f:id:takuoso:20171026152312j:plain

f:id:takuoso:20171026152349j:plain

f:id:takuoso:20171026152819j:plain

f:id:takuoso:20171026152926j:plain

 

タプローム

映画「トゥームレーダー」の撮影場所。ラピュタのモデルともいわれている。

とにかく、木が建物に絡みついている。神秘的。

f:id:takuoso:20171026153103j:plain

f:id:takuoso:20171026153138j:plain

f:id:takuoso:20171026153245j:plain

f:id:takuoso:20171026153348j:plain

人がいないところは、とても神秘的でエネルギーを感じるが、やはり東南アジア随一の観光地。多くの観光客がいて、なんだか気が休まらない。

 

そして、夕方5時に帰宅。12時間も外を歩き回っていたので、本当に疲れた。

宿の人も「普通はお昼にはかえって来るけどね。」と苦笑いだった。

 

高いけど、アンコールワット遺跡観光おすすめです!

Siem Reap

首都プノンペンを後にして、次の都市アンコールワットで有名なシェムリアップについた。

ここでは、日本人の経営する快適なゲストハウスに泊まった。

 なぜかこの宿のドミトリーは閑散期にも関わらず常に満員だった。

そして、すごくいい仲間に出会えた!!ドミの全員でマッサージに行ったのもいい思い出。

f:id:takuoso:20171009012902j:plain

 

Pub Streetf:id:takuoso:20171009012923j:plain

欧米人でごった返す小さな地区は、どこも多様な料理や安いビールの飲めるバーが立ち並んでいる。ここに毎晩飲みに来ていた。なんとほとんどの店で0.5$で生ビールが飲める!!!

 

f:id:takuoso:20171009014115j:plain

f:id:takuoso:20171009013128j:plain

虫の素揚げを売るお店。外国人向け。

私はカエルに挑戦した。。。味は、チキンをおつまみのように味付けした感じ。

うん。うまい!

 

f:id:takuoso:20171009013237j:plain

カンボジアの料理の一つアモック。

ココナッツミルクの入ったカレーという感じかな?

 

f:id:takuoso:20171009013241j:plain

なんと、私の愛する「横浜」の文字が!

バーだけどラーメン屋でもあるらしい。

 

f:id:takuoso:20171009013328j:plain

一番気にいっていた小道。

なんとなく島のメインストリートのようにみえるため、落ち着く。

まるでホンジュラスのウティラ島のよう。

 

これまでのホーチミンプノンペンと違って大都会ではない分、いろいろと落ち着く。

タクシーもぼったくりが少ないし、日本人経営の店もたくさんあるから安心できる。バックパッカーに人気の街である理由が分かった。

 

ちなみにこの滞在中にある日本食カフェのオーナーと話す機会があったのだが、その方が話したのは、「カンボジア人と働くのはいろいろ大変だけど、悩む分勉強になる」ということだった。まさに協力隊のような苦労。

現地の人と直接働く日本人は、誰もが本当に悩みながら努力していると思う。自分も教師として海外で2年間活動したが、それはあくまでボランティアの世界であって、そこに生活が懸かっているわけではなかった。それでも、本気でぶつかるたびに悩んでいた。ホーチミンでは、日本人オーナーが現地のスタッフに日本語で強い言葉で怒鳴るのをみた。

日本人は、サービスや作業の効率化などやりすぎなくらい徹底していてすごい!

でも、日本のやり方を押し付けるだけじゃなくて、バランスよくお互いが仕事しやすくできたらいいよね。

 

キリングフィールド

前回に引き続き、ポルポト政権時代の最悪の処刑場キリングフィールドを訪れた。

市内からバイクタクシーに乗って30分程度で着ける場所にある。

このタクシー交渉もなかなか大変だったが、最終的に往復10ドルの料金だった。

 

キリングフィールド内では、6ドルを支払い日本語のオーディオとチケットをもらう。

まず、外から見えるほどの慰霊塔が中央にある。

この中には、無数の骸骨が置かれている。すべて虐殺された人々の跡である。f:id:takuoso:20171009010455j:plain

このように、先日書いた記事の拷問所からトラックで連れてこられ、処刑されていった人々。

f:id:takuoso:20171009010517j:plain

この木は、鋭い樹皮を持っておりこれを使って首を切っていたといわれる。

f:id:takuoso:20171009010539j:plain

 

ほかにもたくさんの残虐な処刑のあった場を見たが、どれも言葉に詰まるような光景が目に浮かんだ。f:id:takuoso:20171009010616j:plain

 

 カンボジアは、東南アジアでも発展が遅れているといわれている。その原因の一つには、ポルポト政権時代に未来の人材を育てる優秀な人材(教師や医者等)が処刑されたからではないかと考えられる。

f:id:takuoso:20171009010553j:plain

 

過去のことも未来のことも、とても考えさせられた1日だった。

 

バイクタクシーのおじさん。交渉したけど結局すごくいい人だった。

いい笑顔!

f:id:takuoso:20171009010603j:plain

 

あと、プノンペンで最も平和な場所だと思うところ。(王宮前)

もう、カンボジアは同じ過ちは繰り返さないだろうなとこの光景を見ながら思う。

f:id:takuoso:20171009012614j:plain

 

暗黒の時代

カンボジアには、つい40年ほど前に国内で大量虐殺が行われたことをご存じだろうか?

 

ポルポト政権時代1975年~1979年にかけて国内のおよそ3分の1(300万人)の人々が殺されたのだ。もう一度、考えてほしい。300万人である。そのほとんどは、罪のない疑いをかけられ拷問され、殺された。一人ひとり、弾がもったいないからと銃も使われず、斧や鉈などの鈍器やナイフなどで殺されているのである。また、虐殺の対象となったのは、教師や医者などの学のある人々に始まり、外国語が話せる者、大学に行ったもの、海外に行ったことのある者、はたまた眼鏡をかけているという理由だけで殺された。なぜか?

ポルポトは、反逆を恐れた。スパイなどの存在を恐れ、知識のある人間を片っ端から殺害したのである。また、その家族も女、子ども関係なく徹底的に探し殺した。それは、将来自分に恨みが来るのが怖かったのだ。なので、一族そのものを抹消した。

今回、カンボジア訪問の主な目的は、その当時の状況の跡を実際に目で見ることであった。私は、高校生のころ映画ホテルルワンダを見て、悲しくて涙が止まらなかったことを覚えている。ルワンダでも国内で争いが起こり、人を虫けらのように扱い、虐殺が行われた。

それからというもの、海外の虐殺などには関心を向けていた。人間は、そういう狂気的な一面もあるのだと理解した。

ここカンボジアでも、同じような虐殺が国民同士で行われたのである。ちなみに少し古いが「キリングフィールド」という映画も公開されている。私は出発前に鑑賞した。

 

今回は、S-21と呼ばれる拷問収容所(トゥールスレン博物館)とキリングフィールドと呼ばれる虐殺の舞台に訪れた。どちらの場所も非常におもおもしい空気が流れている。おそらく行けば、すぐに感じるであろう。

 

S-21

 

ここでは、ベッドに足を括りつけられ繰り返し暴行を受けていた。おそらくタイルの黒くなった部分は血の跡である。

f:id:takuoso:20170925023723j:plain

 

この施設はもともと高校として使われていた。なので見た目は校舎だがとても楽しい雰囲気には思えない。空気が重く、じとっとしたイメージである。

f:id:takuoso:20170925023930j:plain

 

 

f:id:takuoso:20170925024129j:plain

 

学校にあった遊具も拷問用具として使われた。

ここにある説明によると、腕を縛り吊るしあげる。その痛みにたまらず失神する。

下にある糞尿を入れた壺の中に顔を突っ込み、また意識を取り戻させる。

を繰り返すのだ。もともとはブランコのようなものだったらしい。

f:id:takuoso:20170925024221j:plain

 

当時の教え方。

基本は、母音と子音を教えるのみでクメールルージュ(ポルポト時代の組織)について忠誠心を持つように教育されていたらしい。

f:id:takuoso:20170925024808j:plain

 

S-21と周りの景色

カンボジアでは、近年都市開発が進んでいてビルが増えてきている。

40年前には、こんなにたくさんのビルはなかったであろう。この現実とは離れて街は少しずつ成長している。しかし、この記憶はカンボジア人の中にずっと残り続ける気がする。いや、世界が忘れてはならないのだ。人間は、戦争であろうが虐殺であろうが、どんな狂気に満ちたこともできてしまうのだ。そして、それは教育が大いに関係している。教育は、効果が出るのに時間がかかり、一見効率的でないと思えるが、実際はとてつもないパワーを持っている。この暗黒時代も子どもたちは、何も知らないまま教育され大人を殺す殺人鬼となった。教育は、誤った使い方をすればそれだけ負の力も秘めているということである。

f:id:takuoso:20170925025423j:plain

陸路で国境越え!

ホーチミンシティからプノンペンカンボジア首都)へバスで向かうことにした。朝8:30にバスに乗り、国境へ向かう。国境では、バス会社がパスポートを回収し、ビザを代行してくれた。ビザ代兼手数料、1人35米ドルを支払う。

欧米の老夫婦が同じバスに多かった。欧米の夫婦はアクティブでほんとに元気だなあといつも思う。

ベトナムでの出国手続き→カンボジアでの入国手続きと2度バスから降ろされ、手続きを行う。

無事に手続きも終了し、首都へ向かう。

国境越えは、もう少し面倒なものかと思っていたが意外と簡単だった。というのも 入国審査官がすごくテキトーなのだ。なにも聞かれず、終わった。

バス会社の人がビザ代のお釣り15ドルを中々返してこなかったのが、大変だったくらい。

 

プノンペンへ着いたのは午後3時半、客引きのタクシーをすり抜け徒歩でホステルへ。

ホステルは、ネットの評判通りすごくきれい。だが、ドミトリーなのに少しベッドが大きく、2組のカップルが一緒のベッドに寝ている。
f:id:takuoso:20170922140739j:image

少し落ち着いたところで、周りをふらふらと散歩した。ホーチミンからくると人が少ないように感じる。だが、子どもが多い。

そこらじゅうで遊んでいるのを目にする。

どうやら、ひったくりや強盗もかなり発生しているようである。たしかに、路地裏など人が全くいない場所が多い。注意していなければ。。。

川からの景色。この川沿いには、欧米人の好むバーやレストランが立ち並ぶ。

f:id:takuoso:20170922140713j:image

 

そしてビールが安い!!この生ジョッキで0.5$。カンボジアビールおいしい。

f:id:takuoso:20170925021122j:plain

ベトナム戦争

今回のホーチミンの滞在でベトナム戦争について理解が深まった。それをリポートしたい。 ベトナム戦争といえば、アメリカ軍が枯葉剤を使用して、のちに奇形児がたくさん生まれたというニュースが有名である。

簡単にまとめると、資本主義陣営と共産主義陣営での冷戦時の戦いである。当時、アメリカはドミノ理論と呼ばれる共産主義がドミノのように各国に広まっていくことを危惧しており、ベトナム戦争に介入した。 1965年にアメリカ軍が軍隊の派遣を開始してから、ベトナム軍はゲリラ戦などで対抗した。終戦は、1975年。約10年間も耐えしのいだのだ。今回、クチトンネルなどの訪問を通して、その対抗の仕方がよく分かった。

 

ベトナム戦争博物館では、当時のアメリカ兵による残虐な殺害の様子などが写真や模型で展示されている。

特に日本人向けには、一階エリアがほとんど日本がアメリカの戦争介入に反対しているポスターがずらりと並べてあるので興味深い。

日本の共産党の党代表が訪ベトナムしたとか、そういう記事もたくさんある。

枯葉材による奇形児の写真などは、戦争の悲惨さを物語っている。

 

建物の外には、アメリカ軍の戦闘機等が展示されている。

f:id:takuoso:20170925012519j:plain

 

クチトンネル

戦争博物館では、アメリカがどれだけひどい仕打ちをしたかということがメインであったが、一転してベトナム人誇りの場所、クチトンネルという地下道を見学しに行った。

ホーチミンから、バスツアーで1時間半ほど道路を走ると見えてくる。

ここは、長さ200kmもある非常に複雑に張り巡らされた軍事用トンネルである。当時、ジャングルの中でアメリカ軍はゲリラ攻撃に参っていた。そこで、枯葉剤を使い、ジャングルを消滅させるのだが、実はベトナム軍は地下にいたのである。しかも、全く一目ではわからない狭く小さな入口を作ってアメリカ軍が入ってこられないようになっていた。こんな入り口では、体の大きな欧米人では入れない。

f:id:takuoso:20170925013824j:plain

ツアーを担当していたおじさん。英語で笑いをとっていた。ベトナムは、中国とは戦いたくない、日本やフィリピンは仲間だ。などとツアー参加者の様子を見ながら嬉しそうに話していた。

f:id:takuoso:20170925013859j:plain

トラップの一つ。実際は落とし穴に落ちるとこういう針が足に刺さるようになっていた。

f:id:takuoso:20170925013918j:plainf:id:takuoso:20170925014224j:plain

こういったトラップを駆使することでアメリカ軍を疲弊させたのだ。

女性も軍の戦力として当時は戦っていた。

 

トンネル内部

暗く狭い。アジア人の私でも非常に狭くむし暑く感じた。欧米人観光客は、もちろん音を上げていた。

f:id:takuoso:20170925014731j:plain

アジアでもベトナムと日本は、あのアメリカを相当苦しめたといわれている。

ベトナムの強さの秘訣は、あきらめない姿勢と工夫であったように思う。戦争自体は評価できるものではないが、あきらめないという精神はいつの時代も大事であると思う。

 

 

暴走族は健在

ホーチミンの街を歩けば必ず気づくことがある。そして、常に彼らに対して気を遣っていなければならない。視界に入らないことはなく、常にそこらへんをうろうろしている。

 

それは、バイクである。

 

f:id:takuoso:20170921235455j:plain

ホーチミンでは、バイクの多さが尋常じゃない。そして面白いことがある。優先されているのが、バイク>車>歩行者という順なのである。日本なら歩行者優先だが、海外では車優先とはよく言う話だ。なぜなら、車はでかいからである。道路ではでかいやつが強い理論なるものは共通だと思っていたが、ホーチミンでは車がおずおずとバイクの様子を伺いながら走っているのである。

それゆえ、バイクライダーの傍若無人ぶりには笑うしかない。信号無視は朝飯前、歩道を全速力で突っ走る、邪魔な奴には徹底的にクラクション鳴らす、道路逆走 etc...

とにかく、まるで暴走族のような悪行を平気な顔でする。歩行者が横断歩道を渡ろうものなら信号があるにも関わらず全力で歩行者に向かって突進してくる。

この滞在ですでに3回も事故を見た。そのうち1回は、バイク同士の接触でミニスカのお姉ちゃんが足を怪我したようでわんわん大泣きして周囲の人を集めていた。

歩道も突っ走る。

f:id:takuoso:20170921235548j:plain

 

私は学生時代はバイク2台をずっと所有しているくらい好きでだったが、ここでは絶対に乗りたくないと確信した。事故るリスクと不利になると非は認めない、お金を巻き上げるベトナム人という恐ろしい条件はお金を払われても乗りたくない。

 

3日もいれば大体、横断歩道などは慣れてしまうが、常に道路をわたるのがストレスなのだ。

 

そんなべトナムでは、車に高い関税がかけられており、市民は車をよほどの金がないと買うことができないようだ。そのため、バイクがたくさん流通してるってわけ。

 

都会の喧騒に疲れた時は、このサイゴン川沿いでビールを飲んでいた。風がとても気持ちいい。

f:id:takuoso:20170921235859j:plain